チューリングテスト
[不合理ゆえに我信ず: 個体生命論・語り得ぬもの] に対するコメント。「意識とは何か」についての続き。チューリング・テスト (ある機械が知的かどうかを判定するためのテスト)について。
例えば永井氏は、生殖能力のないものは生命ではないかのように言っている。チューリングテストに落第するヒトの個体のことだって眼中にないのでしょう。でも、「するとうちのばあちゃんは生命ではないらしい」と結論したら、これはカテゴリーの誤りでしょう。
チューリングテストは、意識(さらには知性)があるかどうかを試すテストであって、生命があるかどうかを試すテストではありません。生命があるからといって意識があるとは限らないし、意識があるからといって生命があるとは限りません。この点を混同しているように思えます。生命はないが、意識はあるという存在者を作ることは、理論的には可能です。
また、意識や知性を失う人間がいる以上、チューリングテストに落第する人も当然いるでしょう。「意識」「知性」「人間」といった概念を厳密に定義すれば、「チューリングテストに落第する人」は形容矛盾ではないことがわかるはずです。
最後に申し上げますが、私は哲学者であって、宗教家ではありません。もしも宗教的関心から私の著作を読むならば、必ずや失望するでしょう。私は無神論者であり、合理的なものしか信じないからです。
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コメント(2)
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とりあげていただいて、ありがとうございます。
引用していただいている言葉は、私の発言ではありません。発言のご本人が、補足説明されていますので、それをご紹介します。
http://bbs1.kze.ne.jp/forest/cgi/contents.cgi?fi=141&id=8 より
永井氏は、「生命」だの「生物」だのを、個体を越えた生命の継承と変転のダイナミクスに焦点を当てて語っていて、個体の生命については別扱いし、触れていないから、その線上で、生殖能力のないものは生命ではないかのように言っているし、その線上からは、チューリングテストに落第するヒトの個体のことだって眼中にないのでしょう。でも、永井氏のこの観点を個体に適用して「すると、うちのばあちゃんは生命ではないらしい」と結論した人がいたら、これはカテゴリーの誤りをその人が冒したということでしょう。
“stomachmanがmoriさんにツッコミを入れた文章を、永井氏はご自身へのツッコミと誤読されたようです”
あれは、私に対する批判ではなかったのですか。それは失礼しました。